【医療×移民】インタビュー記事第4弾!東京労働安全衛生センター代表理事 平野敏夫さん!

こんにちは!学生チームです!

 

先日6月1日、2日【移住者と連帯する全国フォーラム・東京2019】を開催しました。

ご参加いただいたみなさんありがとうございました!

メインプログラムの矢野デイビットさん、サヘルローズさん、お二人のお話しに加え、各テーマで話し合われた分科会、そして2日目のパネルディスカッション。いかがだったでしょうか。

皆さんにとって有意義な時間となっていれば嬉しいです!

 

さて、今回で最後となるインタビューですが、今回は「ひらの亀戸ひまわり診療所」の理事長で、NPO法人東京労働安全衛生センター(以下、安全センター)でも代表理事を務める、平野敏夫さんにお話を伺いました!

医師という立場から外国人労働者を取り巻く問題に日々携わっていらっしゃる平野さんに、ご自身のお仕事の内容から法整備の問題まで、幅広くお話して頂きました。

 

 

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ご自身と、お仕事について

―簡単に、普段どのようなことをなさっているのかお伺いしてもよろしいですか?

まあ本職は医者ですので、亀戸ひまわり診療所で医者をしています。ただ、診療所が出来てちょうど来年で30年になるんですけど、ちょうど交代期といいますか、私も今年70(歳)になるので、新しい所長が4年前に来て、今交代しているところなんです。私自身は日常診療がメインで、30年間ずっと診療所の医者をやっています。安全センターの方は、代表理事ということで、まあボランティアみたいな感じですね。どんな仕事って言われると…難しいですね(笑)。

 

―鳥井さんともお話させていただいたのですが、代表理事というお仕事がどんなお仕事なのか、まだあまりイメージが湧かなくて…。

代表理事という仕事は特にないですよね(笑)。要するに、顔みたいなもんです。

 

―あー、なるほど!

顔みたいなものなんですけど、ただ、今現在、安全センターでやっていることとしては、産業医ってわかります?

 

産業医…?

簡単に言うと、会社・事業所から委託をされて、月に1回くらい会社に行って、職場の労働環境とか作業環境をチェックして改善のためのアドバイスをしたり、そこで働いている人たちの健康相談なんかを受けたり、あるいは長期で休んでいる人がいたりすると、職場復帰についてどういうところに注意をしたらいいかと、医学的なアドバイスをする仕事です。事業主、事業所から東京安全センターの方に委託があり、そこから私に連絡が来て、私が安全センターの医者として行く形になります。そういう産業医の仕事を、9か所くらいでやっています(笑)

 

―そうなんですか。大変お忙しいところ…(笑)

あとは、安全センターでは労災とか職業病被災者とか色んな相談を受けるので、そういう相談はもちろん基本的にはスタッフが受けるんですけど、医学的なアドバイスだとか、労災職業病に対する保障、労災保険、そうしたものを受け取るのに必要な診断書を書いたりとかもしています。それから、運営会議が月に3回あるんですけど、それにももちろん代表理事ですから参加します。安全センターの仕事としてはそれくらいですかね。

 

―順番としては、ひまわり診療所を開いてから、その後に安全センターができて、そちらにも参加していくようになったという形になるんですか?

それが、逆なんですよね。東京労働安全衛生センターって、今はNPO法人なんですけど、40年近く前に、「東部労災職業病研究会」という名前で始まりました。「東部」というのは、江東区江戸川区墨田区とかいわゆる下町ですね。今はだいぶ変わりましたけど、当時は小さい町工場みたいな製造業社がいっぱいあって、非常に労働環境や作業環境が悪かったんですよ。下町の中小の、もちろん製造業に限りませんが、そういった事業所の安全や健康の問題に取り組んでいこうということで、医療関係者を中心に発足しました。それから、地域の労働組合とも連携を取りながらやっているうちに、「働く人たちのための診療所や医療機関がほしいよね」っていう話が出て来ました。当然労災とか、職業病の被災者の方から相談が来るわけですから、診断や治療のほかに、職場の作業環境の改善へのアドバイスもできるような診療所、「働く者のための診療所を作ろうじゃないか」ということで、この地域の労働組合、医療関係者、患者さんとかで設立準備会というのを発足して、お金集めをしてもらって、それで1990年にひまわり診療所ができるんですね。

 

―なるほど… では、そういった経緯で発足してから、外国人労働者への対応が本格的に始まっていった時期はいつ頃ですか?

診療所ができるよりも前の1980年代後半あたりから、いわゆるオーバーステイのイラン人がいたんですよ。そういった人たちがいっぱい日本に来ていて、いろんな問題も起きていました。私たちの診療所も、そういった問題に対応していた組合とは発足時から付き合いがあったもんですから、外国人が労働組合に相談に行って医療が必要になると、「ひまわり行け」ってなるんですよ。当時はイランとかバングラデシュオーバーステイの方がたくさんいて、みんな保険に加入していないので、治療費を70%OFFでやっていたんですよ。



移民と出会う

―平野さんが最初に海外からの移民の方々とかかわるようになった出来事ってなんですか?

やっぱり、診療所ができてからですね。特に関わるようになったのは。

―学生の時とかは特に接点も無く?

そうですね~。私が大学に入ったのが1968年なんですよ。まだ生まれてないですよね、もちろん。学園闘争って知っていますか?


―あぁ!それは、鳥井さんたちからもよく(笑)

68年に東京大学に入ったんですけど、医学部を中心に学園闘争が始まったんですよ。私自身は大学4年生くらいから、学生運動に少しずつ関わるようになりました。そこで労働者のための医療だとか山谷のホームレスの人達のための医療だとか、そういう経験をする中で、地域に密着して様々な運動を一緒にするような医者になりたいと思いました。それでこの場所を選んだんです。もちろん最初から診療所を開けるわけじゃないので、この隣の江戸川区の小さな病院に就職して。そこに10年勤めてから、今の診療所を開きました。

 

医療者として移民に関わる

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―今まで受けた相談で印象深かった案件って、どのようなものがありますか?

いくつかありますね。バングラデシュオーバーステイの方がね、福島県双葉町っていうところの養鶏所で働いていて、ベルトコンベアーに挟まれて腕を大けがしてしまったんですよ。そうしたらその途端に解雇されちゃって、どうしようもなくて常磐線で上野までやって来てウロウロしていたのを、当時の全統一の方がたまたま見つけたんです。「どうしたんだ?」って声をかけて事情を聞いて、「じゃあとりあえずひまわりに行きなさい」ということで、うちに来たんですよ。そのバングラデシュの方の話によると、けがをした途端に放り出されちゃって、病院にも連れて行ってもらえなかったそうで…。最後に「日本人は鬼だ」って言ってましたよ。それはすごく印象に残ってますね。

 

あと、中国人の技能実習生が山梨で寮に住みながら働いてたんだけど、突然そこの経営者が来て、中国に帰されそうになったので、ワーッとみんなで逃げたっていうこともありましたね。何人かはそのまま連れていかれたみたいですけど、逃げた人たちは桑畑に一晩隠れて全統一に電話したんだって。それを迎えに行ってね。逃げるときに2階から飛び降りたせいで足をケガした人もいたね。その女性を診療所に連れてきて手当したりだとか、よく覚えてますよ。

 

法整備を巡る問題について

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―最近、特に2018年くらいから国保タダ乗り問題ってメディアで結構取り上げられてますけど、平野先生はお医者さんという立場なので、こうした問題が直に関わってくるのではないかと思うんですけど、どのようにお考えですか?

タダ乗り問題ね。扶養家族の話だよね。あるメディアが取り上げた後に、厚生労働省がきちんと調査をして、それをもとに不正は全く無いって言ってるわけですよ。ハッキリね、データを出して。それで「皆さんちゃんとやってますよ」って言ってるにも関わらず、国会議員の中でも一部の議員なんかが中心になってタダ乗りタダ乗りと騒いでいる。外国にいる扶養家族のために日本にいる外国人が国民健康保険を使っているってね。まぁでもこれは当たり前の話でしょ?だって保険料を払ってるわけですからね。むしろ「不正をやってる」というイメージでメディアがキャンペーンをしているんですよ。ひどい話ですよね。それから、もしかしたらもう知ってるかもしれないけど、もっと酷いことに、外国人の診療を拒否してるわけですよ*1

 

―それはメディアがイメージを作り始めた後に、診療を拒否するところが増えたということですか?

そうそう。在留許可制度とかそういうのが無いとダメだとか。特に有名なのだと、神戸のある病院は「外国人お断り」ってもうハッキリ言ってるんですよ。それで問題になってるんだけど。どうもこれは国がかなり介入しているらしくて、厚生労働省が外国人の診療についての研修会みたいなのをやったそうです。ケースワーカーとかソーシャルワーカーを集めて「在留確認証を見せてもらって本人確認をしろ」ってね。「でないと本人と違うものを持ってきてアレルギーなんかがあったりすると、死んじゃうなんてこともあるんだから」って。これは医師である友人から聞いた話なんですけどね、彼はそういうことをやってるのが許せなくて、「ランセット(The Lancet)」っていうイギリスの医療雑誌に投稿したんですよ、「日本は外国人に対して非常に酷いことをやっている」と。お金持ちの医療ツーリズムとかあるでしょ?ああいうのには非常に手厚いけれども、そうでない外国人には非常に酷い仕打ちをしてるという内容を送ったら、ランセットに載ったんだって。そんなこともあって、そういった厚生労働省の研修会のカウンターとして、彼が中心になって同じように講習会をやったんですよ。ケースワーカーを集めたりしてね。先日2回目の講習会があって、うちのセンターのスタッフも講師として呼ばれて行きました。

 

―今ちょうど4月で改定入管法が施行されて、建設業でも4万人受け入れるという話もありますし、安全センターでもアスベストの問題とかを取り組んでいらっしゃいますよね?今後も建設業で働く外国人労働者の方々が増えていくにつれ、そうした問題がますます出てくると思うんですけど、それについて安全センターや、平野先生ご自身はどのような解決策といいますか、今後の対策のようなものをお考えですか?

それは確かに大きな問題ですよね。そういう建設現場でケガをしたり病気をしたりした人の相談に乗って、労災の保障取ったりとか、そういうことはできる話なんですけど。一番大事なのは、そうならないように、いかに現場や職場で外国人の人たちが安心して働けるような状況を作って行くか、これが課題なんですよね。うちなんかもベトナムからの技能実習生がこの間たくさん健康診断に来ましたよ。若いねー、みんな。20代くらいでね。

 

―僕らと同じくらいですね。

そうだね、同じくらいだね。通訳がいて、4、5人連れて来たんです。「これからどこの現場行くのー?」って言ったら、だいたいみんな建設現場。それで、溶接やるんだとか色々言うんだけども、もちろんベトナムではやってない仕事なんですよね。で、通訳の人に「この人たち明日から現場に行くっていうんだけど、研修とかそういうのやるの?」って聞くと、「いやあ、さあ…」って言うんですよ。もちろん良い会社もあると思うんだけど、安全教育とかそういうのやらせないで、ただ単に働かせる会社もあるんですよ。実は日本には労働安全衛生法っていう法律があって、「事業主は労働者を安全、健康且つ快適に働かせなくてはいけない」と決まっているんです。新入社員には安全教育をちゃんと受けさせて、有害作業に関してはしっかり教育しなさいってね。でも、言葉の問題もあるからね…。ここに来るベトナム人もほとんど日本語できないし、だから昔はそういった教育をちゃんと受けないうちに怪我しちゃうこともすごく多かったんだよ。30年前なんて、働き出してから2日目に怪我したとかね。プレスに指は挟んじゃってとかね、かなりいましたよ。

 

―それは…、衝撃ですね。

まあ、そういうことが心配なんだよね。東京電力も福島の原子力発電所で(廃炉作業員として)働かせるって言ってるらしいし(2019年4月22日取材当時*2)だから、安全教育っていうのは言葉の問題も含めてちゃんとできない可能性も孕(はら)んでいる。法律でいくら縛ったって、現場で労働者を守れなければどうしようもないんで。簡単ではないけど、職場で労働組合や外国人が一緒になって、ちゃんと権利が守られるようにできれば一番良いんですけど、今は全然ダメですからね。

 

 

 

―確かにそうですよね。でも、なんか僕らの世代って、まあその上もそうかもしれないんですけど、労働組合に対してあまり良くないイメージが先行してしまっている部分もある気がします…

どういうイメージ?

 

 

―なんかこう、男性の活躍する社会っていうか。「男の」っていうところと、やっぱ権利を主張するのが労働組合じゃないですか。だから少し怖い雰囲気。もちろん、みんながみんなそうではないと思うんですけど、そもそも労働組合に対して知識が無いということに加えて、権利を主張するということにあまり慣れていないというのもあって。僕個人としては、労働組合っていうのはすごく大事なものだとは思うんですけど。

昔の方がイメージは良くなかったかもしれないね。それこそ3、40年前、私らが若かった頃の労働組合っていうと、当時の国鉄(現在のJR)なんかがストライキをやるわけですよ。だから、電車止まっちゃうんだよ。

 

―今じゃ考えられないですね。

でしょ?止まってる電車の横で「労働者解放」とか書いたりしてたわけですよ。だから労働組合は怖いとか、そういうイメージが昔はあったけど、最近はあんまりないでしょ、そういうこと。それはそれでまたひとつ大きな問題だと思うけどね。

 

全国フォーラムに関して

―全国フォーラムに安全センターが参加するようになったのは、いつからなんですか?

移住連と長い付き合いがあったので、当然のごとく「安全センターは入ってくれるよね?」みたいな。当然のごとく「平野さんも実行委員会入ってくれるよね?」みたいな(笑)。それで入ったっていう感じですよ。

 

―そうなんですね。じゃあもう当初からずっとこう参加されてる…参加というか一緒になってやってきたっていうことだと思うんですけれども、全国フォーラムの意義について平野さんご自身はどういう風にお考えですか?

そうですね、やっぱりひとつには、キャンペーンですよね、外国人の問題ってこんなにあるんだよっていう。知らない人いっぱいいますからね。もうすでにそこにいるというね。我々は相談受けたり関わることが多いから当たり前みたいになってるんだけど、案外みんな知らないですよ。ただ、外国人が増えてるっていうのはわかってる。普段の生活で会うことも多いし。でも、どういう問題抱えてるとか、医療問題がどうだとかっていう話は知らないことが多いし、逆にメディアのキャンペーンで変なイメージを受け取ってしまったりもする。だからこそ、まずはこうしたイベントに参加することで、「知る」機会になりますよね。それと、普段からそういった問題に取り組んでいる人達にとっては、全国から集まって意見交換や学習をすることで、モチベーションが高まりますよね。学んだことをそれぞれの地域に持ち帰ってまた頑張る活力にもなると思います。

 

―そうですよね。しかも東京で全国フォーラムが開かれるのは20年ぶりですよね。あとは、入管法が改正されたりもして。そうした中での今年のフォーラムの特徴って、平野さんご自身はどのようにお考えですか?

入管法が4月に変わって、政府は「移民政策ではない」と言いながらも、やっぱり入れざるを得ないし入ってくる。そこは一つ大きな転換点ですよね。これまでにも起きていた様々な問題を置き去りにして、とにかく労働力だけ入れてくれっていうことだから、これからますます問題が増えてくるんじゃないかとも思うし。でもだからこそ東京でやる意味はあるよね、来年もオリンピックがあるし。これは憶測だけど、下手するとね、入ってこないんじゃないかと思いますよ、外国人が。来ないかもしれない。韓国とかそっちの方が日本よりもずっといいし。やっぱり地方に行くと、もっと皆さん外国人のこと知らないし見えてない。

 

―そうなんですよね。ほんとに、僕らの周りでもそうですけど、関心がないっていうか。まぁ、僕らがこうやって今学生チームを組んで、東京フォーラムの関係者の方々にインタビューをして記事にまとめて発信している大きな意味としては、学生とか若い人たちを中心に問題をもうちょっと知ってもらうことなんですよね。やはり知らない人が多いのが課題というか現状なので、今後僕らもどうにかしていきたいなと思っているんですけど。

若い人は最近、外国の人と話をしたりとか外国行ったりとか、割とハードル低いでしょ。我々の世代ってね、いわゆる7、80代の方なんて、私なんかはしょっちゅう接してるから普通だけど、周りにもほとんどいなかったしね。だから今の若い人って、割とハードルは低いんじゃないですか?英語喋れる人も多いし。

 

―確かにハードルは低くなっていて積極的にコミュニケーションはとろうとはするんですけど、その中身というか、国内で起きている問題に関して…

そこまではいかないんだね。

 

―そうなんですよね。その辺りをなんとかしたいという気持ちがあるんですけど。中々難しいですね。

 これは全国フォーラムのコピーにも出てますけど、ともかくもうすでにそばにいる、外国人ってすぐ近くにいるわけですよ。で、その外国人の人たちがどういうことに困ってたり、どういう目に遭ってるのかとか、それをぜひ知ってもらいたいと思います。例えば、街中歩いてたって建築の解体現場に行くと、結構外国人が働いてますよね。まぁこれは外国人に限らないけど、マスクもしないで働いてるとか、あるいはコンビニでも今はレジで働いてる外国人はすごく多いですからね。そういう人たちが一体どういう労働条件、労働環境にあるのかということに関して、やっぱり知らないとだめですよね。

 

 -そうですね。私たちからの質問は以上になります。ありがとうございました!

 

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記念撮影

 

取材・写真:松永圭造ウィリアム、Rin

文:柴崎パメラ

 

 

 

「もうすでにそばにいる」

 

インタビューのなかで平野さんが発した言葉が印象的でした。

 

『移民はもうすでにここにいる。私たちとともに暮らしている。』

 

そんな意味を含む言葉に安心感と納得感がありました。

 

学生チームも多様なバックグラウンドをもったメンバーで構成されています。なかには、移民2世のメンバーもいます。私たちが思っている以上に日本は多様です。

 

これからも日本で生活する移民が増えていくことは確実ですが、これまでも私たちはともに暮らしてきました。まずは、その事実に目を向け、これから新たにやってくる人々とどう向き合うべきなのか一人一人が自分事として考えることが必要ではないでしょうか。

 

 彼ら・彼女らのために。私たちみんなのために。

 

今回で全国フォーラム学生チームによる活動は終了とさせていただきます。

今年度大学を卒業する者が多く、それぞれが別々の進路へ進み、それぞれの目指す他民族・多文化共生に向けて動き出します。

 

来年は 熊本で全国フォーラムを開催予定です。そちらもお楽しみに!

温かく見守っていただきありがとうございました!

 

学生チーム

 

 

 

【Info】

・ひらの亀戸ひまわり診療所HP

www.himawari-clinic.jp

・東京労働安全衛生センターHP

www.toshc.org

・ 移住連HP(リニューアルしました!)

migrants.jp

*1:この問題の詳細はこちらをご確認ください→https://migrants.jp/news/voice/20180803_2.html

*2:現在、東京電力は「当面の間」見送りとしています。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14025810.html

移住女性に寄り添う 移住連事務局長/カラカサン共同代表 山岸素子さん!関係者インタビュー第3弾!後編!

 

こんにちは。学生チームです!

今回も前回に引き続き山岸さんへのインタビューです!

後編では、6月1〜2日開催の全国フォーラム・東京2019へ話題を絞ってお話を聞いていきます。

 

フォーラム当日、山岸さんは第2分科会【移住女性】を担当されています。関心がある方はぜひご参加ください!

 

申し込みフォーム:https://bit.ly/2HXk6Kx

各分科会概要:https://tokyoforum2019.jimdofree.com/分科会案内/

フォーラムHP:http://tokyoforum2019.migrants.jp


 

 

 

6月の全国フォーラムを控えて

 

現場で自分の立ち上げた団体としてされてきたことが移住連の活動にも活きたんです ね。今年の全国フォーラムでは、どのようなお仕事をされるのですか?

フォーラムは実行委員会と移住連の共催になって、実行委員会団体にメンバーを募って会議をやっいま゙す。そのなかで、共催団体として、全体的にこのイベントが上手くいくように見るのが事務局長の役割ですね。」

 

ー実行委員会と移住連は別の組織ということでしょうか?

「そうですね。別の団体として共催して、1つのイベントをやっている感じです。実行委員会はイベントが開催される現地で組織されるので、そこと移住連が連絡を取り合います。 前回は福井県で開催だったので現地の団体で構成される委員会と移住連が連絡を取り 合いながらやっていました。」

 

ー全国フォーラムの意義とは何だと思われますか?

「全国フォーラムはもともと、開催をする地域での支援活動の掘り起こし、地域への啓発が大きな目標でした。その中で今も実行委員会で様々な団体、個人が集まることでそこの活動が盛り上がることを目的としてやっているので、それを恒常団体の移住連がサポートしつつ、地域をもっと底上げすることも目的ですね。」

 

ー最後に、参加しようか迷っている方々に一言お願いします。

「新しいテーマかもしれないですけと、実際に参加したり経験してみると本当に自分が広がるというか、多様性に触れられることで自分が豊かになると思います。私自身、学生時代にアジアとかに行ったり、日本で生活する移住者に出会ったりする中で、自分が凄く豊かになったので、そうした体験をもっといろんな人に知ってほしいなぁって思います。(最近の)日本社会は窮屈であることを、私たちの年代を見ても、若い年代を見ても感じます。(とくに)若い人たちは息苦しかったり、生きにくいんじゃないかなって実はすごく感じています。」

 

ー若者の息苦しさですか。

「そう。例えば大学で学生と接していても、私たちの時代はもっと自由だったと感じます。カツカツで時間びっしりの生活の中にいて。その中で、それこそお金はもう少し削ってでも時間の余裕とか、もっと違うなものを見つけてほしいなぁって。」

 

ー本日はこれで終わりになります。どうもありがとうございました。

 

 

 

 

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最後にみんなでパシャリ

 

 

学生時代からいろいろな世界に積極的に゙触れてこられた山岸さんのお話は凄く多面的で、社会には色々な形で見えないマイノリティがいることや、表面には現れない深刻な問題があるのだと改めて気付くきっかけにもなりました。

「多文化」という言葉の影に隠れてしまいがちなジェンダーや子ども、メンタルの問題まで、「言われてみればそうですよね」と頭を縦に振りっぱなしの広報チームでし たが、6月のフォーラム当日にはこういった身近だけれども見過ごされがちな問題についても触れることが出来るようです。

もとより、「多文化共生」という言葉自体、移民やマイノリティの為だけのものではなく、私たちの「毎日の生活」に関わるものです。色々な人たちと時間や空間を共に出来る今の時代だからこそ、まずはその理解を深めていきたいものです。

 

 

 

取材:林慶松永圭造ウィリアム小泉秋乃

文:林慶

編集:松永圭造ウィリアム

 

 

 

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移住女性に寄り添う 移住連事務局長/カラカサン共同代表 山岸素子さん!関係者インタビュー第3弾!前編!

こんにちは。学生チームです!

今回で第3弾となった関係者インタビュー。フォーラム当日までもう1ヶ月を切りましたね。フォーラムに携わるすべての人々が当日に向けて最後の準備で大忙し。

私たち学生チームも日々編集作業に追われています(笑)

 

それでも残りの3週間、最後まで突っ走ります!

 

 

さて、今回インタビューに応じていただいたのは、、、

 

 

 

 

 

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移住連 事務局長/カラカサン共同代表 山岸素子さん

 

移住者と連帯する全国ネットワーク事務局長、カラカサン・移住女性のためのエンパワメントセンター共同代表である山岸素子さんです!

優しい雰囲気をまとい、緊張する私たち学生チームに分かりやすいよう言葉を選んで説明してくれました。

今回は、そんな山岸さんが現在の支援現場に携われるまでの半生に迫ります。

 

 

 

始まりは異文化に深く触れた学生時代

 

ー異文化に関心を寄せるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

「私自身は親の仕事の都合で幼い頃から転校が多かったんですが、当時自分の近くには、今のように外国ルーツの人が多くなかったというか、目に見えて近くに認識できていませんでした。でも中学生のころ、アフリカ難民の飢餓が大きな社会問題になっ て日本でもよく報道されていたんです。そのとき、画面に映し出されたアフリカの難民キャンプの子供たちの姿に衝撃を受けたんですよ。骨と皮がくっついていて、肉が無くて、お腹だけが膨れてるっていう状態。その姿を見たときに、『こういうことがあっていいんだろうか』って。自分は日本に住んでて、絶対に食べ物が食べられない ことは無かったし、ただ生まれたところが違うだけで、なんでこんなことが起こるのかってすごく疑問で。それで、高校に入ってからも難民問題の本は結構読んでいました。そこから、大学では開発経済をやりたいと思って経済学部に行ったんです。」

 

 

ー最初に移民や外国にルーツを持つ人と関わりを持たれたのはいつでしたか?

「やはり大学ですね。世界が変わったような感じがしました。当時アジアとか『第三世界』って呼ばれていて、そういう国のことを色々とやりたいと思い、学内では『第三世界ショップ』っていうのをサークルで作りました。当時はフェアトレードという考え方も出てきたばかりだったんですが、それをNGOと連携しながら学内で広める活動を始め たんですよ。結局、自分が今までいた世界があまりにも狭かったんだなと。違う世界の多様な人々の暮らし方に気が付いたのが大学時代なんです。だから、日本に来ている移民の人たちに出会うっていうよりも、大学時代は外(海外)に出ていろんな人に会ったんです。」

 

ー国外に出て、具体的にどのような体験をされたんですか?

「大学1年の時には、ピースボートに乗ってベトナムとかカンボジアに行ったりしてい ました。2年の時にはフィリピンに1か月行ったんです。そしたらそこで「あなたどうして学生なのにこんなところまで来れるの?」と言われて。当時の日本の学生は割と旅行もできたんだけど、フィリピンの田舎の人はずっとそこに暮らしててマニラにも行くことがあるかないかという具合で。学生のうちに違う国に来れるなんて考えられないみたいなリアクションをされましたね。」

 

ーなるほど。肌身で違いを感じたんですね。では、「第三世界」とかとはまた違うんで すけれども、今、働くために日本に来る人がかなり増えたじゃないですか。恐らく山岸さんが学生だった頃と比べたらものすごい変化だと思うのですが、そういうのが始まったときの衝撃などはありましたか?

「うん、そうですね。でも、実は私が大学に入って来た時はちょうど日本にもニューカマーの外国人がたくさん来るようになっていたんです。バブル経済の中、アジアから観光ビザで多くの人が来て、その人たちがいわゆるオーバーステイになってもずっと働き続けていだ。だからなんかこう、街中にとにかく人(外国人)が増えてきた。自分は外にも出てたんだけど、実は日本国内にも動きがあった時代でした。」

 

就職―多文化共生を模索する道へ

 

「そういったイベントに大学3年の時にどっぷり浸かって、そのNGOがやっていた『自由学校』っていう社会教育の所にアルバイトで入るようになりました。大学を出てすぐ に、結局そのままそこに就職したんです。」

 

ー周りの人達、驚きませんでした?

「もちろん親とかには反対されましたね。やっぱり親だったら会社員とか安定した職業について欲しいってなるでしょ?でも友人たちは私のことを知ってたので至極当然といった感じでした(笑)」

 

ーずっとそういう活動に関わっていたんですよね。

「そうそうそう(笑)。まぁそういう訳でNGOに就職しました。そこはアジアとか『第三世界』との関係の中で、日本社会を新しく作る教育とか、様々なプログラムをやってたんです。ちょうど私が入った頃は、外国の人たちもたくさん日本に来ていたので、NGOとしてもそのような現状に一番関心を持っていて、新たなプロジェクトを始めたところだったんです。」

 

「80年代後半から90年代始めの国内には、アジアからの労働者とか、人身売買の被害者女性も沢山いたので、カトリック教会とかその他の市民団体、労働組合とかがそういった問題に対応する団体をどんどん立ち上げていたんです。当時は30万人ものオーバーステイの人がいる時代だったから、東京でも毎週日曜日に代々木公園でイランの人たちが1000人、2000人の規模でお祭りみたいに売り物や出し物をしていて、そういうコミュニティがなんというか、許容されていたりもしていてね。その中での就職だったんです。」

 

ーそのような社会変化の中で、日本にいる移住者(の抱える問題)に関心をもっていったんですか?

「そうそう。もっと現場に関わりたいとも思って転職もして、カトリック教会だとか労働系のところでも働きました。その後、自分たちで作った団体がカラカサンです。」

 

女性であり「移民」。見え辛い問題と向き合っていく

 

ーカラカサンって、神奈川県に住んでる外国人女性がメインですよね。フィリピン人女性のイメージがあるのですが。

「そうですね。色々なんですけど、フィリピンの人は多いですね。限定してる訳ではないんですが、スタッフのメンバーにフィリピンの人が多いので、口コミとかもあって自然とフィリピンの女性やフィリピンルーツの子が多いですね。」

 

ーフィリピン女性っていうのはやっぱり80~90年代だと興行ビザで来られた方が多いんですか?

「そうそう。それでこっちで結婚して子供が生まれて。ただ、結婚関係が破綻している場合も多くて、母子家庭で子どもを育てながら定住している方も結構います。」

 

ーカラカサンを立ち上げるに当たって、その焦点を女性とその子供に向けようと思った のはなぜですか?

「1990年代に国際結婚がすごく増えて、とにかく(国際)結婚ブームみたいになってたんですよ。それで90年代後半には、DVとか離婚の問題がメインの課題になってしまって。創立時のメンバーに女性が多かったっていうのも大きいですね。あとは、自分たちで一から団体を作るとなると、全てのことには勿論対応出来ないじゃないですか。 そういう点も踏まえて、特に取り組みたい問題に焦点を当てた団体を作ったんです。 自分の中でも女性特有の問題に関心があったので、フェミニストカウンセリングを学んだりもしました。」

 

ージェンダーによって生じてくる問題と「外国人」であることに関する問題が重なって、 (国際)結婚ブームの熱も冷めてきて、その後見えてきた傷のようなものを見ていこうみたいな感じだったんですか?

「そうですね。90年代はとにかく、どんどん国際結婚の数が増えていったんですけど、 結婚したもののやっぱり相互理解し合うって感じではなかったんでしょうね。例えば、もともとフィリピン女性に対する偏見が夫側にあるとか、そういうのも(当時は)すごかったんですよ。そこからDVも高い頻度で起きていて。」

 

ー家庭の中の問題って見えにくいですよね

「そう、見えにくさ故に外から言うのも難しくて。というのも、例えばフィリピンの方も、日本からフィリピンに仕送りしてたりしてね。親兄弟、あとは独身の時に生まれた子どもなど、扶養しなきゃいけない対象を(フィリピンに)残して日本に来ている場合が多かったんです。そうすると『何とかして日本で働かなきゃ』っていうのがあるので、どんな扱いを受けても、我慢しないといけないって思う人が多かったんですよ。だから、 日本人の夫に酷い扱いを受けて、かなりのとこまで我慢して、それからもう本当に耐えられない状態になってから逃げ出してくるっていうこともありました。」

 

ー壮絶ですね...。最近だと、結婚だけではなく、家事労働職に就かれているフィリピン

の方が多いじゃないですか。そういう方々もカラカサンにもいらっしゃいらっしゃい

ますか? 

「家事労働者の方たちは確かに今新しい形で入ってきているんですけど、数自体はまだすごく少ないんです。例えば、国際結婚の人たちは毎年何万とかいう件数であったりするけれど、家事労働の人たちは3年前とかに始まって、年間何百人とか。それに、何年かで「帰る」労働者なので、もちろん自分で稼いだお金を家族のために使っているわけなんだけど結婚女性とはまた違う状況でね。ただ、現在労働者として入ってきている人の問題は女性の中でも大きくなっているんですよ。例の技能実習生の問題も半分は確実に女性でね。実際、セクハラとか、女性だからこそ、さらに大変になっている状況はあります。」

 

ー最初にアクションを起こそうってなった時に、どういった形で始められたんですか?

「まずは相談対応ですね。色々な問題を抱えている人たちの相談を電話で受けられるようにする。例えば、DVを受けている人には日本の中にどのような支援策があるのか情報提供をしたり。最終的には本人たちが決めていくんですけど、話しをしてエンパワメントをして、本人たちが自己決定できるようにとすすめていくのが相談活動です。その後、被害から逃れてシェルターに入り、母子ともに日本に定着できるような福祉的支援が得られたとしても、精神的に受けてる傷や地域内での孤立など、問題が沢山あります。なのでヒーリングプログラムとか、自分たちの権利などといった知識を学ぶようなセミナーやワークショップなどもやりました。」

 

「一方で外国にルーツを持って生まれて、暴力の被害を受けてきた(子どもの)場合、自分の自尊心が傷ついてアイデンティティが揺らいでいる子が多いですから、子どもに対しても彼らを支えるプログラムもやりました。あとはね、これだけ酷いことが起こっているのに、外国人だからという理由でDV法案の救済対象になっていないとか。やっぱり日本の法制度が不十分なこともよく分かるので、それは移住連のネットワーク活動に参加して、それこそ移住連がやっているような国内法へのロビーイング活動とか、国会議員に会って DV被害者が当事者としてア ピールするとか、移住連がやっている集会で女性たちが当事者としてアピールするという取り組みを結構やっていたんですよ。」

 

 

 

 

 

後編に続く。

 

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取材:林慶松永圭造ウィリアム小泉秋乃

文:柴崎パメラ

編集:林慶

写真:小泉秋乃

 

 

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関係者インタビュー第2弾・後編!移住連代表理事 鳥井一平さん!

みなさん、こんにちは。

前回に引き続き移住連代表理事鳥井さんのインタビュー記事(後編)です!

後編では、主にフォーラムについてお聞きしていきます。

 

前編がまだの方はこちらへ↓
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全国フォーラムの目的

-今回の全国フォーラムを通して、何に目的意識を持ってやられていますか?

「全国フォーラムごとに違うんだけど、1つは地域のネットワークをつくるということ。九州だったら九州のネットワーク、名古屋だったら東海ネットワークっていうのをつくってもらうとか、そういうのを意識的にやってます。」

 

-今回、2019年は東京で開催ということですけど、前回などと比較してどうですか?

「やはり政治的な目的があるわけですよ。政治的な目的というとおかしいけど、政治日程的に、政策提言だとかそういうのを考えたので、それと、現政権が東京オリンピックパラリンピックを焦点にするだろうなって思ってたら案の定、2019年に天皇退位、即位とか、そういうのを全部日程決めてきたわけだよ。そしたらぴったり合ったわけね。目的意識を持ってやって、ぴったり予想が当たったという感じ。」

 

今回のフォーラムの背景には、政治に対する意識があったと鳥井さんは言います。その意味でいうと、やはり今回の東京開催は大きな意味があったようです。

 

「今の政権でそういう政策転換をしてくると思っていた。どう見ても(外国人労働者の)受け入れ拡大になるだろうという風に見てたんですよ。現場の実感から。そもそも、2008年にもう施行する予定だったわけだから、10年間先伸ばしになったわけね。2008年に短期就労制度の提言というのを出してるからね。で、「日本型移民国家」とまで言っちゃってるわけですよ。」

 

「日本型移民国家」とは、2008年に自民党国家戦略本部のプロジェクトチームが提言したもの。移民政策を通して、日本の活性化を図ろうとしたものですが、その提言から10年経って、再び「移民」に関する議論が活発になっています。しかし、2008年に「日本型移民国家」という言葉が出ていたにも関わらず、政府は移民政策という立場をとらず、あくまで「外国人労働者の受け入れ拡大」としています。

 

「だってグローバリズムだから。資本の側はグローバリゼーション(と新自由主義)なわけですよ。だから、(労働力さえ入れば)『移民』でも『移民国家』でもいい。それは大きな問題ではないわけね。(しかし、いまの社会では)「外国人労働者の受け入れ」(と呼ぶ)方が都合がいいわけだよね、(日本の)企業側としては。でも(私たちとしては)、いわゆる単一民族国家とか訳の分からないこと言われるくらいならまだいいけど、『使い捨て』を前提にして受け入れているという状況だけはどうにかしなければならない。」


「(関連して)私達が注意してるのは、(企業など資本側から言われる)サプライチェーンとか人権、SDGsとか、それもちょっと怪しいんじゃないかという気持ちは持ってるよ。グローバリゼーション(やビジネス)との関係で言うと危ないな、と。だから注意して見とかなきゃいけないって言うのはある。」

 

 

このような流れに対抗する意味でも、あえて「移民」という言葉を使っているそう。「移民」についての議論が再燃する中、今回の全国フォーラムが果たす役割はネットワークを作ること以上のものが期待されると思いました。

 

 

移住連、全国フォーラムのこれから

-鳥井さんは、今回のフォーラムの実行委員会に入られていますよね。そこでの役割はどのようなものになるのでしょうか?

「私は何やるんですかね(笑)。私はずっと下支えじゃないかな。いろいろな団体との調整とかそういうものをやるんじゃないかな。」


「まあね、もう若い世代の人たちが中心になってやっていった方がいいよね。私ももう65歳ですからね。だから、そうなっていった方がいいと思いますよ。できれば、代表理事もそろそろ、そういう人たちと交代していった方が。女性を中心にしてやるようなね。そういう風に変えていった方がいいと私は思ってます。」

 

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今回のフォーラムでは下支えの役割という鳥井さん。一方で、これからは若い世代が担っていくことに期待していることが伺えました。そして、この思いは今回の全国フォーラムにも反映しているようです。

 

-今回、東京で行われる全国フォーラムですが、私達学生ボランティアも含め、学生を中心とした若者にもひらけたイベントとなっていると思います。

「そうですね、そうならないといけないよね。そういう意味で言うと、私らの若いときはやっぱり先輩たちも懐が深かったと思います。好き勝手やらせてもらったから。かなり自由闊達に議論してましたし。」


「やっぱり、自由闊達に議論していくというのはすごく大切ですよね。いまはどうしても、討議する・議論するっていうことが抜け落ちてる。それは今の若い人たちだけじゃなくて、年配者も含めて、社会そのものが討議・議論するってことに弱い。」


「議論すると、相手に否定されているかのように受け止めてしまう人も多いよね。議論に慣れていないので。徹底した議論の場が求められているんじゃないかな。移住連の運動の中でもそうできるようにしていきたいなと思っています。」

 

 

分科会について

フォーラム当日は、メインプログラムの他に、分科会も開催されます。分野は様々で、入門編から難民・LGBTなど、移民というキーワードを中心にさまざまな課題を広く学べる場となっています。

 

-今回、「多様なルーツ」など新しい分科会も出てきましたが、関心のある分科会はありますか?

「私としては『若者』とかにすごく関心はありますよ。それから、『労働』とか『技能実習』とかは関心があるないとかじゃなくて、それは当たり前だから。」


「あと、私はね、『教育』っていうのはすごく関心あるんですよ。やっぱりそこ(教育)にかかってるから。私は今の自分の活動に関しては、やっぱり小学校、中学校、高校の先生に感謝しています。なぜ今活動しているかっていうと、これまでの教育が大きかったんだと思います。」

 

鳥井さんの育った豊中は、地域的に先進的な街だったようです。このような鳥井さんの学生時代の経験は、日本の移民・外国人労働者を取り巻く状況などへの関心につながり、さらに広く派生しているようでした。

 

 

参加を検討している方へ

-では、最後に東京フォーラムに参加しようと思っている人に向けてメッセージをお願いします。

「ぜひ参加してほしいっていうのはあるんだけど、とにかく雰囲気を見てほしいというか、一緒にその空間に来てみませんか?、っていう(気持ち)。あるいは、こういう空間いりませんか?、っていう感じ。(多様な人々で築かれる)多民族・多文化共生ってこういうことだって、それがここにありますよって。」

 

 

 多様な人が集まる「公共空間」がそこにある。当日の全国フォーラムでは、実際にそれを感じることができると思います。

 

出会い、感じ、考える。そんな空間に1度来てみませんか?

 

 

 

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鳥井さん、インタビューにご協力いただきあろがとうごいました!

 

 

 

完。

 

 

取材:松永圭造ウィリアム、Rin

編集:高野優香

 

 

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関係者インタビュー第2弾!移住連代表理事 鳥井一平さん!

みなさん、こんにちは。学生チームです!関係者インタビュー第2弾お待たせいたしました!

 

今回インタビューにご協力いただいたのはNPO法人移住者と連帯する全国ネットワーク(以下、移住連)の代表理事を務める鳥井一平さんです。

講演会やシンポジウム、また国会での参考人意見陳述など、最前線に立って活動しており、テレビなどのメディアで見かけた方もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな鳥井さんのバックグラウウンドに迫りながら移住連や全国フォーラムについてお聞きしていこうと思います。

 

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NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク 代表理事 鳥井一平さん

 

幼少期編

ーまず、移住者と関わるようになったのはいつ頃からですか?

「生まれた時ですかね(笑)。大阪の阿倍野区で生まれて豊中市で長く育ったんですよ。私の父親は住民票はあったんですが、「本籍がない」人で、そういったところにあまりこだわりを持たない人だったから。それもあってか、生まれた時から周りには中国人や朝鮮人の人が多かったかな。一歳の誕生日なんかには、中国式の誕生日の祝い方で、巻物に華僑の人たちみんな名前を全部ばーっと書いてね、この子をみんなで守っていきましょうっていうやり方があったり、食事や遊びも中国式のものに多く触れていたかな。」

 

 

学生時代編

ー学生時代は元々どんなことに興味があったんですか?

「やっぱり社会問題には興味があったかな。豊中市っていう環境がとても良かったね。今は国際交流協会も活発だけど、当時から人権教育、平和教育にすごく熱心だった。小学校で児童会、中学校で生徒会みたいな感じで自主的な運営なんだよ。選挙があってさ。で、3分の2ルールだとか4分の3ルールだとか民主主義のルールみたいなものをどんどん教えこまれていくわけ。模擬議会で厳正に選挙なんかもやるし、議会ルールもきっちり教え込まれたと思いますよ。」

 

 

ー僕の学校も一応選挙はありましたけど、形だけになっていて全然成り立っていませんでした(笑)

「ほかにも、教科書だけじゃどうしようもないって言って、中学校の時は、歴史の先生なんか教科書を一切使ってなくて先生のノートで授業するんだよ。そういう時代だから、そもそも君が代なんて歌ったことないの。」

 

 

ー強制されなかったってことですか?

「小学校、中学校でも歌った覚えないね。」

 

 

ー今だとあまり考えられないですね。

「そうだねぇ。先生のストライキとかもしょっちゅうあったし。

高校に入って一学期目は授業をしなかった。入学式もなかった(笑)。」

 

 

ー入学式まで。。。(一同唖然)

「学校が始まったら始まったで、いきなり職員室の前で野球部のキャプテンとアメリカンフットボール部のキャプテンがハンストをやってんだよ、座り込み(笑)。」

 

 

ーそれは何に対してですか?

「『本当の教育を求める!』って能力別クラスへの反対が目的だったみたい。それで、そこから一学期の間、授業は一回もなし。朝からクラス討論。。それで結局能力別クラスが廃止されて。そしたらもうみんな「闘えば勝てる」ってなるわけ。達成感も大きいし団結も強まったし、今でも高校の同級生は私がこういうことをやってることにも理解があるし、『鳥井だけは昔から変わんねぇな』みたいになるわけよ。」

 

二年生から単位制に変わったことで、必修以外の授業は選択になって、鳥井さんは体育やサルトルの授業を履修していたとのこと。高校三年の半ばからは東京で働いたりもしていたみたいです。

 

 

ー大学時代はどんな学生だったんですか?

「大学は二部の大学に通ってたから昼は仕事して、夜は大学に行ってみたいな感じ。今でも記憶に残ってるのは一番最初の新入生歓迎の映画会で、観ていたら自治会の勧誘が来たことあったんだよね。(そのころ)フランス語の授業をとってたんだけど、担当の教員が『君たち何か勘違いしているよ』って言い出して(笑)。(履修者が多かったため)『私の授業は単位取りにくいよ。二部の学生だったら居眠りしちゃって大変だから他の授業とったほうがいいんじゃない?』って。」

 

「その時にこれって差別じゃない?と思って自治会の人に相談に行ったんだよね。そしたらみんな同意してくれて、その教官の部屋に乗り込んで『二部の学生を差別してるんじゃないか』って追及するんだよ(笑)。そしたらその教員も『申し訳ありませんでした』って謝るんだよね。他にも夜は体育の授業が日没終了だったんだけど、それはおかしいから夜間照明を作るよう大学側に掛け合ったり、部落差別の問題とか朝鮮人・韓国人に対する差別に取り組んでたね。」

 

「それから生協もあったから自治会と一緒に公害問題、差別問題、環境問題いろんなことに取り組んだね。今の、パルシステムとか、それから、グリーンコープとか、こういうとこはみんな昔の活動仲間だから。一緒にデモしたりもした仲間だしね。」

 

学生時代から様々な方面にアクティブだった鳥井さん。今の決断力や行動力は学生時代から積み上げてきたものの結晶ですね。

 

 

外国人労働者と向き合う

ーそうした環境でどのような経緯で現在にいたったのでしょうか?

「まあ、最初は全統一労働組合で、1990年ぐらいから外国人労働者の労働問題に出会った。当時は東京労働安全衛生センターの事務局も団体の発足(1991年)からやっていて、そこで『外国人労災白書』っていうのがつくられて、記者会見を見ていた外国人労働者から相談がたくさんきたんですよ。

例えば、1991年に千葉県野田市の金属プレス工場で外国人が指を3本落とす事故があって、労災を手続きするためにまずは主治医の話を聞こうと千葉県野田市の小張総合病院っていうところに行ったんだけど、ロビーに包帯姿の外国人がいっぱいいて。」

 

 

ー大勢の包帯姿の外国人ですか。。。

「そう。これは大変なことが起きてるなとバッて実感したわけね。

で、彼のそのケースはお医者さんと話をして、会社に乗り込んでいって。これは労災じゃないか、ということで労災の手続きをちゃんとしなさいと。その件がその病院のロビーでバッと噂が広まったわけですよね。」

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ーそこで外国人労働者の人たちとの関わりが拡大していったんですね。

「そうそう。オーバーステイ在留資格を持っていない非正規滞在)の人でもうまくいったぞって、話が広まっていって、次々と相談が来るようになったわけ。そこからもっと組織的かつ大々的に行っていこうと、『外国人労働者分会(FWBZ)』というものがスタートしたんです。それが、パキスタンバングラデシュ、イランからの3カ国、20人でした。」

 

「1993年に、そこからさらに拡大していこうということで春闘(労働条件の改善を求めて毎年春の労働組合の闘い)に合わせた取り組みをすることにしたんだよね。『生活と権利のための外国人労働者一日行動』っていうのをその年の3月8日にやろうということで、準備を始めるわけですよ。この頃からメディアの取材も増え始めたんだよ。」

もともと東京総行動っていうのをずっとやってるんだけど、東京の労働組合は特に争議があると、ダーってみんなでいろんな会社や背景資本に押しかけていくっていうことをやっていたんですよ。それが年4回ぐらいあるんだけど、その外国人労働者版をみんなでやろうじゃないかということになって。それで3月8日に動員をかけたら、オーバーステイの人が東京の八重洲国労会館に150人以上集まったわけですよ。」

 

「朝からみんなマイクロバス乗って、いろんな企業に要請する。そのあと東京都に要望とか労働省(現、厚生労働省)との交渉、それから裁判所への申し入れ、東京地裁

朝から1日やってたのがテレビで全部報道されて、夜のニュース、6時、7時、9時、全局でそのニュースが流れたわけね。すごくセンセーショナルな話題になって、こんなに外国人労働者がいるのかと大きな話題になったわけよ。それが毎年、今まで続いているわけね。省庁交渉(年二回、移民・外国人労働者に関する問題について中央省庁と市民社会間で交渉する場。)てのは、そこから始まったの。それをいまでは移住連が窓口になってずっとやっている。初めはさっき言ったように労働問題についてメインでやっていたけど、家族のことや日常生活のこと、税金の問題と、徐々にその幅を広げていって、1997年から移住連の活動の柱の一つとして入れたんだよね。」

 

 

ー省庁交渉にはそんな背景があったんですね。

「そうですね。実際には、1993年外国人春闘までのところでいうと、もっと前からNGOの人たちが取り組んでいるんだよ。でも団体交渉という形にはならなかった。つまり交渉へ行っても向こう(企業)が応じてくれればやるという形でね。だから、労働組合としての交渉をすることで法的義務を作る。個人で企業に交渉に行った場合は、企業側はそれを拒むことができるんだけど、労働組合を通すと(労働組合法の関係で)それを拒むことができなくなるわけ。今までのNGOの人たちの土台があればこそなんだけれども、労働組合がぐっと前に出たわけだよ。で、オーバーステイの労働者も顔出してやれると、自分たちが前に立って。それまでは支援の人たちに助けてもらう立場だったんだけど、自分たち自身がやるというパターンに変えていったわけだよね。これが、非常に大きな原動力になったと思いますよ。」

 

 

ーなるほど。自分たちで自発的にやるように変わったんですね。

「支援は熱心にやってる人がいっぱいいたんだけど、どうしても当事者が前に見えてこなかった。そこで私らがどどどーっていったもんだから。しかもその頃のスタッフだったイスラム系の人たちが元気でさ。在留資格もないのに警察と取っ組み合いした人もいたからね。日立本社の要請では、日立本社のシャッターを押し上げて中に突入して、警備員とオーバーステイの労働者でやりあってるんだから(笑)。警察署に直接要請した時もあった。そういうのをずっと色々やってたわけ。そういうようなエネルギーっていうのがさ、移住連を押し上げてきたのかなって思うんですよ。で、96年に関東フォーラム(現、全国フォーラム)があって97年に移住連がスタート。」

 

 

ー壮絶ですね。。。フォーラムのプレイベントにもなっている「マーチ・イン・マーチ」(2019年3月3日開催)は外国人春闘が変化したものですよね?」

「そうそう。ちょっとおしゃれな名前になっただけです(笑)。」

 

 

ーで、それが毎年春に行われると。

「うん、3月。1回目が1993年の3月8日です。翌年が3月14日だったかな。」

 

 

ーなるほど。ありがとうございます。

 

 

 

年も例年通り行われた「マーチインマーチ」。鳥井さんが語る当時の様子とは違い、今では各国の踊りや歌などを披露する集会があり、その後、権利を求めてデモ行進をします。

 

今年はあいにくの雨でしたが大盛況のうちにイベントを終えました。

 

これまで、鳥井さんの半生を語っていただきました。語りの中には今では考えられないような壮絶なものが多く、学生チーム一同鳥井さんの語りに聞き入ってしまいました。

鳥井さんをはじめ支援者の方々が先陣を切って外国人を含む多くの労働者のために立ち上がり、彼/彼女らと一緒になって権利を主張してきたからこそ今があることを忘れてはいけない。そう強く思いました。

 

しかし、今もなお劣悪な労働環境に苦しむ外国人労働者の方は多くいます。彼/彼女らのために何ができるのか。それは「声を上げ続けていく」ことだと今回改めて思いました。

 

私たち学生チームも声を上げ続けます。

 

 

 

後編ではフォーラムについてお聞きします!こちらもお楽しみに!

 

 

後編へ続く

 

 

取材:松永圭造ウィリアム、 Rin

撮影:Rin

編集:こーだい、松永圭造ウィリアム

 

 

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関係者インタビュー第1弾!・後編(坂本啓太さん)

関係者インタビュー(全統一労働組合書記次長坂本啓太さん)

今回は前回の続き、全統一労働組合書記次長坂本啓太さんのインタビュー記事の後編です。

 

そもそも、全国フォーラム・東京2019って?という方はこちら↓へどうぞ

 

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坂本さんの記事の前編をまだ未読の方はこちら↓からどうぞ。

 

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全統一労働組合書記次長坂本啓太さん

 

 

 
移住者と連帯する全国フォーラム(全国フォーラム)への参加

―それで、話は移るんですが、全国フォーラムにはいつごろから参加されていますか?

「えーと、全国フォーラムは2年に一回ですよね。で、全国ワークショップが2年に一回ずつで、一年おきにやってるけど、なんか結構前から参加してるんですよ。全統一に入る前からそうやってボランティア的に鳥井さんに言われて名古屋行ったり、神戸行ったりしたんですよね。」

 

 

 

 

―フォーラムでは、ゲストスピーカーをお呼びしたりする講演会式のメインプログラムと、各分野ごとに分かれてワークショップを行う分科会がありますが、分科会にはこれまでどんなテーマがあったんでしょうか?

 「まあ、やっぱりかなり専門的に絞った医療であったり、入管法であったり、難民とかあとは労働、技能実習生とか。あとは教育、貧困、女性などの社会的な、専門的な分科会が多かったですね。」

 

 

 

 

―やっぱり専門家みたいな人がくるような

 「そうですね。研究者とか大学の関係者であるとか、学校の先生であるとかね。」

―それが今回ちょっと変わっているというわけですね。

 

 

 

今年のフォーラム(全国フォーラム・東京2019)について

 —今年はフォーラム当日何を担当されるんですか?

「分科会は第一分科会を担当しています。第一分科会っていうのは入門編ということで、外国人移住者に馴染みがない日本人の人たちや、移住者の方達自身が法律的な立場であったり、何が出来て何が出来ないとか、今どういう社会状況の中にいるのかっていうことを感じれるようなわかりやすい分科会にしたいなと思っています。体感型の分科会。」

 

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―つまり、移住者、移住者の方達に、興味関心あるけど

 「そうですね、接点がないとか」

―そういう人たちにもわかりやすいような

 「体感型、参加型の。」

 

 

 

―では、今回のフォーラムの特徴ってなんでしょうか?

 「規模が大きいっていうのと、そうですねえ、特徴…。改めて聞かれると何だろうなあ」

 

 

 

―僕がちょっと思うのは、東京でやるっていうのは、オリンピックが控えていてっていうのもあると思うんですけど、今回「多様なルーツ」っていう分科会が出てきたりとか、メインプログラムに著名な方をお呼びしたりとかもして、それこそ入門編があって…。

入門編って、ちなみにずっとそういうのあるんですか?

 「いや…なかったと思うな。」

 

 

 

―そういうのも聞いていると、その、興味関心はあるけど、やっぱりそこに一歩踏み出せないというか、接点を持てないというか、そういう人たちにも向けた東京フォーラムっていうイメージが僕の中にはあるんですけど。

 「そうですね、やっぱ専門的に興味がある人たちも参加できるし、そうでない人たちも参加できるような、とても入り口の広い全国フォーラムですよね、今回は。」

 

 

 

―じゃあそういう意味でもこの入門編っていうのは、すごい…

 「そうですね、結構プレッシャーですね(笑) 重要ですよね。」

 

 

 

坂本さんが担当される「入門編」には学生チームの一部のメンバーも関わらせていただいおります。まだまだ知識がなくて…そんな方はぜひご参加ください!

 

 

 

 

 

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―他に個人的に関心のある分科会とかってありますか?

 「そうですね、「多様なルーツ」の分科会と、労働の分科会ですね。」

 

 

 

―労働っていうのはわかるんですけど、「多様なルーツ」っていうのは、どういった理由でしょうか?

 「うーん、今までなかったんじゃないかな、だからやっぱり関心がありますね。」

 

 



 

読者へメッセージ

「あと、やっぱり様々な労働組合の方に(フォーラムへ)参加してもらいたいなっていうのがあります。他の全統一以外の労働組合の人たちにもたくさん参加してもらいたいなとは思ってますね。」

 

 

 

―なるほど。あと、最後になるんですが参加しようか迷っている方々へのメッセージをお願いしてもいいですか?

 「そうですね、楽しく参加できるように努力はしますし、やっぱり迷ってるんなら来ちゃった方がいいんじゃない?っていう、迷ってるならね。(笑)」

 

 

 

―そうですね。

 「やっぱり、触れ合うことで、新しい発見というのがあると思うので、ぜひ迷っているのなら来てほしいなって思いますね。」

―ぜひ来ていただきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

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 時には場を和ませるような言い回しや言葉を選び、私たちの緊張をほぐしてくれました。



 

 幼いころから外国人に対して愛着、親近感をもって育ってきた坂本さん。現在もなお、国籍や民族に限らず労働相談に応じています。

 

 

 

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 熱意と優しさその両方を兼ね備えた全統一労働組合書記次長の坂本啓太さん。

この度はインタビューに応じていただきありがとうございました!

 

 

 

 

撮影:こーだい

取材:松永圭造ウィリアム・こーだい

編集:松永圭造ウィリアム

 

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関係者インタビュ―第1弾!・前編(坂本啓太さん)

 皆さんこんにちは。移住者と連帯する全国フォーラム・東京2019(以下、全国フォーラム・東京2019)学生チームの松永と申します。

今回の全国フォーラム・東京2019では、私たち学生チームが広報の一部を担当させていただくことになりました。そこで、同世代の学生や社会問題に関心のある方々へ向けて、このフォーラムについてや移民問題、その支援現場についてさらに知ってもらうことを目的に広報の一部を担当しています。

 

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※全国フォーラムや移住連、このブログについての詳細は前回の記事をご覧下さい

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関係者インタビュー記事(坂本啓太さん)

 

 そして今回、初めてインタビューに応じていただいたのは、

 

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全統一労働組合書記次長坂本啓太さん

 

全統一労働組合(以下、全統一)の坂本啓太さんです。一見、強面(こわもて)の坂本さんですが、とてもやさしく丁寧な方で、インタビューの際も熱意を持ちつつも丁寧に応じていただきました。毎回飲み会ではムードメーカー的存在で、学生チームのなかでも絶大な人気を誇る坂本さん。今回はそんな坂本さんの素顔に迫りたいと思います。

 

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真剣な表情でインタビューに答える坂本さん

 

―初めて移住者と関わるようになったのはいつごろでしょうか?

「もともと下町で生まれ育ったんです。日暮里、荒川区の下町。その時、小さい頃住んでいたアパートの向かいにアフリカ系のアレンさんという男性がバイク屋さんやってたんです。そのアレンさんにすごい可愛がってもらったんですよ。その頃から、外国人の人たちに対する偏見とかね、そういうのをもたずに育ったっていうか、むしろ親近感というか、愛着というか、まあそういうのがあって育ったんですよね。」

 

 

 

 

技能実習生問題と出会う

「そこから話は飛びますけど。高校卒業するときに、みんな大学行くっていうような状況で、学びたいこともなく、単に働きたくないから大学行くみたいな、なんかそういう雰囲気があって、でもそれってなんだろうって思って私は働いたんですよ。18(歳)でね、高校卒業して。その時から、全統一労働組合の鳥井さん(当時全統一書記長/現移住連代表理事)を通じて、色々なボランティアとか、全統一労働組合の手伝いをすることが多くて、20歳の時ですかね、今から12年ほど前ですか、技能実習生問題に出会ったんです。北関東のイチゴ農家で働いていた中国人の実習生たちが強制帰国させられるっていうのを助けたってことで、鳥井さんから電話があって、「運転できますか?」と。車3~4台くらいで、支援者を入れたら20人くらいで(実習生が働いている農家へ)行くから運転してくれって言われたんです。まあそれがきっかけで。

(そこには)五人ぐらいの農家の社長さんや、協同組合の理事長とかもいて。そこで、鳥井さん達が団体交渉するんですけど、それを後ろの端っこの方で座って聞いていて、『世の中って、こんな悪い人いるんだ〜』って、思ったわけですよ(笑)知らない世界で、『すげえな〜』みたいな(笑)」

 

 

 

―その時の雰囲気ってどんな感じだったんですか?

「もうバッチバチです。向こうは全然非を認めなくて、何が悪いんですか?みたいな。『実習生たちにどこかに行かれたら困るんだからパスポートなんか取り上げて当たり前だ!』なんて、平気でそういうこというわけですよ。『え〜(驚)』とか思っちゃって。で、こんな世の中になってるのかというのを、20歳の時に(思った)。今までいい人たちに囲まれて生きてきたんだなっていうのを痛感したわけですよ。」

 

 

 最近では技能実習生の劣悪な労働環境や雇用形態が問題となっていましたが、当時からそういう問題はあったんですね…。

 

 その後、困っている人がいることを知り、「もっと勉強して、社会のことを知りたい」と思い、22歳の時、大学(夜間)へ進学。そこでは、社会学部に所属し、ゼミ長もされていたそうです。

 

ゼミ長から書記次長へ(学生時代~全統一へ)

—大学ではどんな感じだったんでしたか?

「私ゼミ長やってましたよ!担当の教官が『ゼミ長やる人〜』っていうじゃないですか。そしたら誰も手あげないんですよ。ずっと。『何この時間』みたいな。『じゃあいいです。私やります』って感じで(笑)しかも三年連続で。」

 

 

 

 

その後、昼間は働きつつ大学に通いながら、全統一でもボランティアを続けていました。しかし、2011年の東日本大震災をきっかけに毎週被災地の宮城県南三陸町に通い、炊き出しなどのボランティアをされていたそうです。その間、大学はお休みし仕事とボランティアで忙しくしていました。

当時、南三陸町に張り付き、現地でカフェを立ち上げるプロジェクトを行いました。その時の様子が『がれきの中にできたカフェ』という絵本にもなりました。

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『がれきの中にできたカフェ』西山むん



―その後はどうされたんですか?

「その一年間の中で大学では自分が得られるものはもうないかなっていうのもあって、2012年の3月に大学を辞めて、それで、被災地のボランティアも終わって、一年間で。じゃあ、労働者として生きていこうと、働いてたんですよ。生活もあるので。その震災以降はもう全統一の仲間としてやらしてもらっていて。働きながら、時折、時間があるときに色々とお手伝いするって感じで。」

 

 その後、1年間働きながら全統一でも活動されていました。その後、2013年の4月ごろ、当時の書記長鳥井さんから連絡がありました

 

「突然電話がかかってきて、「坂本啓太君の正式採用が決定されました」って(笑) え、何がですか?って。「全統一で働いてください。」とか言われて(笑) いやいやいや、私今働いてるんですけどって言ったら、「今すぐやめてきてください!!」って(笑)

 

―ハハハハ(笑)そのあとは書記次長になられたんですか?

「2年間ぐらいは見習い。そのあと2015年の定期大会で、書記次長になりました。」

 

 

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 時折、笑いも交えながら慣れないインタビューに緊張する僕らを和ましてくれました。

 

 

―今年は東京フォーラムのプレイベントとしても開催されますが、今回のマーチ・イン・マーチはもう大体決まっているんですか?

「大体は決まっていますよ。ただ、メインはまだ決まってなくて。いつも、それぞれの国の音楽とかを参加団体のみんなでやって、歌ったりとかして、それからデモ行進にでるんですよ。その流れはできてるんですけど…。去年のメインはフニさんっていう在日韓国人のラッパーの人に来てやってもらって。一昨年は在日ブラジルコミュニティの人たちのラッパーの人が来てくれて、まあ、2年連続ヒップホップ関係だったんですよ。で、その前はバンドだったりとか。」

 *取材当時(2018年12月)の状況です。

 

―そうなんですね。マーチ・イン・マーチの特徴としてはやっぱり労働者、移住労働者の方々がデモというかフェスティバルのようなイメージがあるんですが。

 「そうです。やっぱり、もともとは93年に始まった外国人春闘っていうことで、外国人労働者の権利を向上していこうということです。それで、ここ数年は来る人もやっぱりデモするだけじゃあんまり楽しくないかなってことで、参加団体それぞれの国の音楽だとか、文化に触れて、それで権利を向上するために一緒にデモ行進をするっていう、そういう形があって。その今の形はいいなと思いますね。」

 

 

 移住連はもともと移住労働者を中心に支援活動を行っていましたが、NPO法人化する際に労働以外の問題にも活動の幅も広げ名称を変更しました。現在、移住連の代表理事を務める鳥井さんは立ち上げメンバーの一人でもあり、全統一で約20年書記長としても活躍さていました。そのため現在も移住連と全統一は一緒になって外国人の権利問題、特に労働問題に取り組んでいます。マーチ・イン・マーチもその代表例です。

今年は3月3日に開催されました。あいにくの雨でしたがたくさんの方にご参加いただきました。こちらの様子も違う形で報告できればと思います。

 

 

 

 

 後編へ続く。

 

 

 

撮影:こーだい

取材:松永圭造ウィリアム、こーだい

編集:松永圭造ウィリアム

 

【Information】

・『がれきの中にできたカフェ』西山むん

ガレキの中にできたカフェ

ガレキの中にできたカフェ

 

 

 ・全統一労働組合HP

www.zwu.or.jp

・March in March(マーチ・イン・マーチ)

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