関係者インタビュ―第1弾!・前編(坂本啓太さん)

 皆さんこんにちは。移住者と連帯する全国フォーラム・東京2019(以下、全国フォーラム・東京2019)学生チームの松永と申します。

今回の全国フォーラム・東京2019では、私たち学生チームが広報の一部を担当させていただくことになりました。そこで、同世代の学生や社会問題に関心のある方々へ向けて、このフォーラムについてや移民問題、その支援現場についてさらに知ってもらうことを目的に広報の一部を担当しています。

 

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※全国フォーラムや移住連、このブログについての詳細は前回の記事をご覧下さい

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関係者インタビュー記事(坂本啓太さん)

 

 そして今回、初めてインタビューに応じていただいたのは、

 

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全統一労働組合書記次長坂本啓太さん

 

全統一労働組合(以下、全統一)の坂本啓太さんです。一見、強面(こわもて)の坂本さんですが、とてもやさしく丁寧な方で、インタビューの際も熱意を持ちつつも丁寧に応じていただきました。毎回飲み会ではムードメーカー的存在で、学生チームのなかでも絶大な人気を誇る坂本さん。今回はそんな坂本さんの素顔に迫りたいと思います。

 

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真剣な表情でインタビューに答える坂本さん

 

―初めて移住者と関わるようになったのはいつごろでしょうか?

「もともと下町で生まれ育ったんです。日暮里、荒川区の下町。その時、小さい頃住んでいたアパートの向かいにアフリカ系のアレンさんという男性がバイク屋さんやってたんです。そのアレンさんにすごい可愛がってもらったんですよ。その頃から、外国人の人たちに対する偏見とかね、そういうのをもたずに育ったっていうか、むしろ親近感というか、愛着というか、まあそういうのがあって育ったんですよね。」

 

 

 

 

技能実習生問題と出会う

「そこから話は飛びますけど。高校卒業するときに、みんな大学行くっていうような状況で、学びたいこともなく、単に働きたくないから大学行くみたいな、なんかそういう雰囲気があって、でもそれってなんだろうって思って私は働いたんですよ。18(歳)でね、高校卒業して。その時から、全統一労働組合の鳥井さん(当時全統一書記長/現移住連代表理事)を通じて、色々なボランティアとか、全統一労働組合の手伝いをすることが多くて、20歳の時ですかね、今から12年ほど前ですか、技能実習生問題に出会ったんです。北関東のイチゴ農家で働いていた中国人の実習生たちが強制帰国させられるっていうのを助けたってことで、鳥井さんから電話があって、「運転できますか?」と。車3~4台くらいで、支援者を入れたら20人くらいで(実習生が働いている農家へ)行くから運転してくれって言われたんです。まあそれがきっかけで。

(そこには)五人ぐらいの農家の社長さんや、協同組合の理事長とかもいて。そこで、鳥井さん達が団体交渉するんですけど、それを後ろの端っこの方で座って聞いていて、『世の中って、こんな悪い人いるんだ〜』って、思ったわけですよ(笑)知らない世界で、『すげえな〜』みたいな(笑)」

 

 

 

―その時の雰囲気ってどんな感じだったんですか?

「もうバッチバチです。向こうは全然非を認めなくて、何が悪いんですか?みたいな。『実習生たちにどこかに行かれたら困るんだからパスポートなんか取り上げて当たり前だ!』なんて、平気でそういうこというわけですよ。『え〜(驚)』とか思っちゃって。で、こんな世の中になってるのかというのを、20歳の時に(思った)。今までいい人たちに囲まれて生きてきたんだなっていうのを痛感したわけですよ。」

 

 

 最近では技能実習生の劣悪な労働環境や雇用形態が問題となっていましたが、当時からそういう問題はあったんですね…。

 

 その後、困っている人がいることを知り、「もっと勉強して、社会のことを知りたい」と思い、22歳の時、大学(夜間)へ進学。そこでは、社会学部に所属し、ゼミ長もされていたそうです。

 

ゼミ長から書記次長へ(学生時代~全統一へ)

—大学ではどんな感じだったんでしたか?

「私ゼミ長やってましたよ!担当の教官が『ゼミ長やる人〜』っていうじゃないですか。そしたら誰も手あげないんですよ。ずっと。『何この時間』みたいな。『じゃあいいです。私やります』って感じで(笑)しかも三年連続で。」

 

 

 

 

その後、昼間は働きつつ大学に通いながら、全統一でもボランティアを続けていました。しかし、2011年の東日本大震災をきっかけに毎週被災地の宮城県南三陸町に通い、炊き出しなどのボランティアをされていたそうです。その間、大学はお休みし仕事とボランティアで忙しくしていました。

当時、南三陸町に張り付き、現地でカフェを立ち上げるプロジェクトを行いました。その時の様子が『がれきの中にできたカフェ』という絵本にもなりました。

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『がれきの中にできたカフェ』西山むん



―その後はどうされたんですか?

「その一年間の中で大学では自分が得られるものはもうないかなっていうのもあって、2012年の3月に大学を辞めて、それで、被災地のボランティアも終わって、一年間で。じゃあ、労働者として生きていこうと、働いてたんですよ。生活もあるので。その震災以降はもう全統一の仲間としてやらしてもらっていて。働きながら、時折、時間があるときに色々とお手伝いするって感じで。」

 

 その後、1年間働きながら全統一でも活動されていました。その後、2013年の4月ごろ、当時の書記長鳥井さんから連絡がありました

 

「突然電話がかかってきて、「坂本啓太君の正式採用が決定されました」って(笑) え、何がですか?って。「全統一で働いてください。」とか言われて(笑) いやいやいや、私今働いてるんですけどって言ったら、「今すぐやめてきてください!!」って(笑)

 

―ハハハハ(笑)そのあとは書記次長になられたんですか?

「2年間ぐらいは見習い。そのあと2015年の定期大会で、書記次長になりました。」

 

 

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 時折、笑いも交えながら慣れないインタビューに緊張する僕らを和ましてくれました。

 

 

―今年は東京フォーラムのプレイベントとしても開催されますが、今回のマーチ・イン・マーチはもう大体決まっているんですか?

「大体は決まっていますよ。ただ、メインはまだ決まってなくて。いつも、それぞれの国の音楽とかを参加団体のみんなでやって、歌ったりとかして、それからデモ行進にでるんですよ。その流れはできてるんですけど…。去年のメインはフニさんっていう在日韓国人のラッパーの人に来てやってもらって。一昨年は在日ブラジルコミュニティの人たちのラッパーの人が来てくれて、まあ、2年連続ヒップホップ関係だったんですよ。で、その前はバンドだったりとか。」

 *取材当時(2018年12月)の状況です。

 

―そうなんですね。マーチ・イン・マーチの特徴としてはやっぱり労働者、移住労働者の方々がデモというかフェスティバルのようなイメージがあるんですが。

 「そうです。やっぱり、もともとは93年に始まった外国人春闘っていうことで、外国人労働者の権利を向上していこうということです。それで、ここ数年は来る人もやっぱりデモするだけじゃあんまり楽しくないかなってことで、参加団体それぞれの国の音楽だとか、文化に触れて、それで権利を向上するために一緒にデモ行進をするっていう、そういう形があって。その今の形はいいなと思いますね。」

 

 

 移住連はもともと移住労働者を中心に支援活動を行っていましたが、NPO法人化する際に労働以外の問題にも活動の幅も広げ名称を変更しました。現在、移住連の代表理事を務める鳥井さんは立ち上げメンバーの一人でもあり、全統一で約20年書記長としても活躍さていました。そのため現在も移住連と全統一は一緒になって外国人の権利問題、特に労働問題に取り組んでいます。マーチ・イン・マーチもその代表例です。

今年は3月3日に開催されました。あいにくの雨でしたがたくさんの方にご参加いただきました。こちらの様子も違う形で報告できればと思います。

 

 

 

 

 後編へ続く。

 

 

 

撮影:こーだい

取材:松永圭造ウィリアム、こーだい

編集:松永圭造ウィリアム

 

【Information】

・『がれきの中にできたカフェ』西山むん

ガレキの中にできたカフェ

ガレキの中にできたカフェ

 

 

 ・全統一労働組合HP

www.zwu.or.jp

・March in March(マーチ・イン・マーチ)

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